宙吹きで作るガラスは、同じ商品でも形や柄に微妙な違いが出るため一点ものの魅力を持っています。そんな魅力を楽しめるのが、肥前びーどろのロングセラー「縄文シリーズ」の器。青と赤の縄模様はどことなく懐かしさがあり、わずかに波打つガラスからは手仕事の温もりが感じられます。デザイン面だけでなく、軽く、手に持ちやすいことから肥前びーどろの中でも長く人気の高いシリーズです。
個性を楽しむグラス
宙吹きとは、吹きガラスの技法の中でも最も古く、最も技術を要するとされる技法です。一般的に吹きガラスは大きく分けて「型吹き」と「宙吹き」に分かれており、「型吹き」は文字通り金型の中で息を吹き成形していく技法で、成形する際に高い技術を必要とせず、型にはめて作るため形や大きさも均一に仕上がります。一方で「宙吹き」は型を用いずに僅かな道具を使って、職人の技術のみで成形していく技法のこと。宙空で成形するため、その形一つ一つに違いが生まれますが、その形はどこか自然で優しい風合いを帯び、表面は滑らかで艶があるのが特徴です。肥前びーどろではほとんど全ての製品を宙吹き製法で作っており、同じ商品でも柄や形に違いが出ますが、そこが味わいとなるのも宙吹きの真髄と言えます。
可愛らしいサイズの一口ビールは、少量ずつ飲むならおすすめの形。晩御飯を食べながら飲むビールの量にぴったりで、華やかな見た目で底が安定している使いやすさから来客用にお茶を出すコップにするのも喜ばれます。ハンドメイドで作られるコップは一つとして全く同じ模様がなく、職人の技を直に触れて感じられる一点ものです。また、実際に手に取ってみると、そのぽってりとした見た目に反して、意外なほどのその軽さに驚くのもこのグラスの特徴です。
一口ビールは、ビール以外にもお茶、ジュースなど、万能で使いやすい形。化粧箱に入っていますので、ご自宅用としてだけでなく結婚祝いや引越し祝いなどのギフトにも喜ばれます。縄はものを繋ぎ止めたり引き寄せる時に使われるため、幸せを繋ぐ縁起の良い柄です。机の上に並べるとキリッとした美しさを放つ肥前びーどろで、冷たい飲み物をより一層美味しく味わえそうです。
幻の技法、ジャッパン吹き※縄文シリーズは宙吹きで作られています。
肥前びーどろが佐賀市の重要無形文化財として指定されている理由の一つに「ジャッパン吹き」という宙吹きガラスの技法にあります。世界で最も珍しく、日本で唯一肥前びーどろのみで使われている技法で幻の技法とも呼ばれおり、一人の職人がガラス製の竿を同時に2本扱うのが特徴です。これはジャッパン吹きで作る商品には注ぎ口がある為。胴体部分を始めに作り、その後にもう一つのガラス竿にガラスを付けて胴体に接着し注ぎ口を作っていくためです。
ジャッパン吹きがなぜ幻と言われるのかというと、その技術の習得の難しさが挙げられます。通常は吹きガラスを製造する際には、鉄製の吹き竿を使用しますが、ジャッパン吹きではガラス製の吹き竿を使用します。細く長いガラス製の吹き竿を吹くこと自体がまず技術が必要なことに加え、焼き戻し(製造中に温度が下がり固くなるため成形しにくくなるのを防ぐため、何度も温め直しガラスの温度を一定に保つ作業)ができないため、すべて素早く行い一発勝負となるのです。遠心力と重心を頼りに形を作り出す難しさから一人前になるには数十年かかり、二本の竿を巧みに操る様子から二刀流とも言われているのだそう。肥前びーどろの商品でも数点に限って行う特殊な技法ですが、肥前びーどろらしい独特の形や風合いにつながっています。ZUTTOでお取り扱いしている肥前びーどろの商品の中では、肥前かんびんがこの技法で作られています。
江戸時代から続く、肥前びーどろ
嘉永五年(1852年)鍋島藩主が、佐賀市多布施川流域に大砲鋳造のため、精錬方を置き、その一環として硝子器製造をも手掛けさせたのが、肥前びーどろといわれています。精煉方は、現在でいう理化学研究所。大砲鋳造など、藩を守り、強くするための技術開発と向上を目的とした施設で、当時では珍しいガラス窯が築かれ、主に科学実験のためのビーカーやフラスコが作られました。ここで培われたガラス技術は、明治維新に入りランプや食器といった日用品の製造に広がります。精煉方は、精煉所という民間会社となり、そこから明治36年に独立した副島源一郎が副島硝子工業を創業したのが始まりです。職人でしか作れなかった肥前びーどろも現代の機械化の波に飲まれてその姿を消しつつある中、肥前びーどろの唯一の作り手となり、長く続いてきた伝統技法「ジャッパン吹き」を守り続けています。
サイズ | 直径約5.5×高さ約10.5(cm) |
重量 | 約102g |
素材 | ガラス |
生産国 | 日本 |
対応機器 | 電子レンジ:×
食器洗浄機:× オーブン:× |
箱有無 | 有 |
嘉永五年(1852年)大砲鋳造のため、精錬方(現在でいう理化学研究所)を置き、その一環として硝子器製造をも手掛けさせたのが、肥前びーどろといわれています。当時では珍しいガラス窯が築かれ、ここで培われたガラス技術は、明治維新に入りランプや食器といった日用品の製造に広がります。明治36年に独立した副島源一郎が副島硝子工業を創業したのが始まりです。職人でしか作れなかった肥前びーどろも現代の機械化の波に飲まれてその姿を消しつつある中、肥前びーどろの唯一の作り手となり、長く続いてきた伝統技法「ジャッパン吹き」を守り続けています。
商品 | 価格(税込) | 在庫 | 個数 | |
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¥4,730(税込) |
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カートに追加されました
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