日本の伝統的な技術というのは、いつの時代も人々の目を楽しませる美しさが宿り、憧れの気持ちさえ感じさせてくれます。伝統工芸品は多くありますが、今回取り上げるのは「江戸切子」です。江戸時代後期に発祥し、以後途絶えることなく関東近郊の職人さん達の手によって受け継がれ発展を続けています。江戸切子と聞いて抱くイメージは、ガラスに緻密なカッティングが施され光を受け輝くその姿。
そんな江戸切子についてもっと知りたくて、江戸切子ブランドの「硝子工房彩鳳」を手掛けるミツワ硝子工芸さんの工房を訪ねました。「見るたびに嬉しくなり、使うたびにゆたかになるような、手作りならではの逸品」をコンセプトに江戸切子の伝統を守りながらも、現代に合う新しい江戸切子を作り出しています。
硝子工房彩鳳さんの工房に一歩足を踏み入れると、「キイィーン、ギュイィーン」という機械音が響き渡ります。所狭しと並ぶ木のパレットの中を覗き込むと、赤や青色をしたグラスやお猪口が並んでいました。工房内には作業をする機械とともにスツールが置かれ、職人さんお一人お一人が黙々と、集中して作業にあたっていらっしゃいました。
お話を伺ったのは伝統工芸士の石塚さん。この道13年の職人さんで、2018年に国家資格である伝統工芸士として認定されました。
江戸切子が形となるまでのスタート地点は、この彫りも文様も何もないプレーンなガラスから。色付き江戸切子のガラスの特徴は、内側が透明・外側が色付きの「二重」になったガラスにあります。色が異なる二色が重なっているからこそ、外側の色付きのガラスに切子細工を施すと内側の透明のガラスが表れ、その部分が文様となるのです。
江戸切子としてのアイデンティティーである、切子細工を施す工程としては大きく分けて4つあります。簡単にご紹介すると、
1.割り出し
ガラスの表面に油性の金色のペンで模様線をつけていく作業です。細かい線は描かず、大まかな縦・横の線のみを入れていきます。
2.荒摺り(あらずり)・中摺り(なかずり)
切子細工を施すには、縦に回転するホイールにガラスの表面を当てつけ、動かしていきます。まずは粗い刃のホイールで削り、切子文様の輪郭を模っていきます。粗く削ったあと、次によりカッティングが際立つものにホイールを変えていきます。ちなみにこのホイールの刃はダイヤモンドで出来ているのだそう。
3.石かけ
人工の砥石を使い、中摺りしたデコボコ面を平らに均一化していく作業です。「最終的な切子模様の美しさが決まる工程であるため最も神経を使います。」と仰っていました。
4.磨き
砂から出来た磨き粉に水を混ぜ粘土状にしたものを使います。熱を加え、ガラスの表面を溶かしながら磨いていく工程です。この工程で、最初の割り出しの作業でガラスに描いた金ペンの線が消え、全体的に磨かれることで江戸切子特有の、澄み切ったガラスの光を放ちます。
上画像の、右上から左下への斜め線は中摺り工程までを行ったもので、左上から右下への線は最後の磨きの工程まで行ったもの。中摺りまでの線は擦りガラスのように白いままですが、磨きを経た線は透明感が出て輝いているのが分かります。
江戸切子の製造工程としては他工房も同様だそうですが、硝子工房彩鳳さんならではの特徴は?とお伺いしてみました。
「ベースとなるガラスには江戸ガラスを使用しています。江戸切子とは言え、最近では輸入もののガラスをベースに細工を施すところもあるようですが、硝子工房彩鳳では江戸川区で作っている吹きガラスの「江戸ガラス」を全ての製品に採用しています。理由は明白で、色の風合いが日本的というか、優しい色合いで江戸切子にぴったりだからです。輸入ガラスでもガラスのクオリティは問題ないのですが、色彩感覚の違いなのか、海外特有のパッキリとした色合いが江戸切子には合わないと考えているからです」とのこと。
さらに、「硝子工房彩鳳では江戸切子の新しい提案として、ガラス色の組み合わせのバリエーションを増やしています。江戸切子は外側と内側のガラスの色を変えることによって文様を浮かび上がらせていますが、その色の組み合わせは伝統的には"赤+透明”や"青+透明"が多いのです。それらに加え、"青+ピンク”や"緑+ピンク"などの現代的な色合いにも挑戦しています。」
今回、ZUTTOのスタッフも江戸切子の体験をさせて頂けることに。職人さんの迷いのない手仕事に圧倒されながら体験したのは「ぶどう」の文様です。江戸時代以降に江戸切子が発展していく中、その文様の中心は花や果実だったそうです。工房に新しく入って来られた方がまず初めに取り組む、初歩的な技術が詰まった文様でもあるそうで、職人初心者の気分で体験しました。
同じぶどうの文様の「葡萄文様 一口ビール ペア」
こちらは伝統工芸士の石塚さんが作られた見本品。美しいです。これを目指します。
工程としては、
1.丸をつなげてぶどうの模様を彫る
2.曲線で枝を描き、ぶどうの房同士をつなげる
3.枝から葉を生やす
の3ステップ。それぞれの工程で必要とされる技術が異なってきます。
まずは、
1.丸をつなげてぶどうの模様を彫る
「丸を彫る作業は実は一番簡単です。」と石塚さん。「丸いホイールに丸いグラスの曲面を押し当てるだけで勝手に丸い文様になるので、ぶどうにするにはそれを繋げるだけです。」
最初は恐る恐る。どのくらいの力で押し当てて良いのか分からず、ホイールの力に負けて弾かれてしまいそうに。グラスのこの辺りが切れるだろうな、と思って刃に当てても、実際には見当違いな箇所に文様が入ってしまい慌ててしまいます。
また、ぶどうの文様にするために丸と丸同士をつなげたいのですが、離れた箇所に作ってしまいくっつかなかったり、逆に重なりすぎて丸がつぶれてしまったり・・・。
丸が離れてしまったり、くっつきすぎて潰れてしまったり・・・。
2.曲線で枝を描き、ぶどうの房同士をつなげる
※こちらは石塚さんのお手本です
ぶどうの房が3つ出来たので、次はぶどうとぶどうの間に枝を彫ります。今回の工程は、先程のような押し当てるだけの作業ではなく、実際に手を動かします。
ポイントは、ガラスの曲面に合わせて転がすように動かすこと。始点と終点を意識して、その間を曲線でつなぐイメージです。分かってはいるものの、力を入れて押し当てつつガラスを転がすのは至難の技で、思うようにグラスは動いてくれません。最初の枝はほぼ真っ直ぐ、下に向かっていっただけ。3本目にしてようやく(いびつな)曲線になりました。
3.枝から葉を生やす
最後に、ぶどうの葉っぱを彫ります。枝から生えているように文様を入れるのですが、枝の細い線を始点にし、丸をつくる容量で押し当て、葉っぱの大きさになったらスッと向こう側に転がして葉っぱの先端を細くします。
下の画像のように石塚さんの葉っぱは真ん中に葉脈の線が出ているのですが、いざ挑戦してみると単に丸にしっぽが生えたようないびつな形の葉っぱが続出してしまいました。
以上の工程で、出来上がったぶどう柄の江戸切子グラスがこちらです。
両方とも、ZUTTOスタッフ作の「ぶどう」。
丸にしても線にしてもやはり均一性を出すのが難しく、線と線が交差することで生まれる江戸切子特有の文様は、想像を超えるような正確な手仕事によって成り立っているのだと改めて感服しました。
実際に体験してみて感じたことは、ガラスを「切る」ことへの恐怖心はさほど感じず、意外なことに力を入れないと綺麗に文様が入らないということ。ビクビクしながら弱い力でガラスをホイールに押し当ててしまうと弾かれる感覚があるので、しっかりと力を使うこともポイントなのだなと、「もろい・弱い」と感じていたガラス製品に対して新たな一面を発見した体験でした。
また、今回のガラスは透明だったので作業中、実際に切れる箇所を上から確認しながら行うことが出来ましたが、これが色付きのガラスだったら内側から覗き込む必要があり、ましてや透明感の全くない黒色のガラスの場合は完全に職人さんの勘と経験を持ってしてでないと、文様を施すことは出来ません。いち使い手として切子のグラスを使っている時には想像し得ない製造工程や方法が、そこにはありました。
細かい文様で繊細な印象を受ける江戸切子も、芸術作品ではなく日常で使うものです。お客様がいらした特別な日だけでなく日々の暮らしで愛用してこそ、その澄み切った美しさを堪能出来るはず。今回製作の一部を体験させて頂いて分かったことは、普通のグラスやタンブラーと同じように扱っても全く問題ないということです。極端にガラスが薄い訳でも、もろい訳でもないのでぜひ普段使いのグラスとして気兼ねなくお使いください。
また、江戸切子の文様のほとんどが吉祥文様でおめでたい気持ちや感謝の気持ちを表しています。熨斗をお付けすることも可能で、結婚やお引越しのお祝いの品としてとてもふさわしいので、贈り物にもおすすめですよ。
今回体験させて頂いたぶどうが描かれた、「江戸切子 葡萄文様 ミニオールド」。色んな角度から眺めると、彫刻のように刻まれた文様に光が反射し、まるで万華鏡を覗き込んでいるようです。その名の通り小ぶりなサイズなので、酒器として使っても。
琥珀色のグラスに南天の実と葉をまとう、「江戸切子 南天文様 ミニオールド」。切子グラスは青や赤のぱっきりとした色合いのものが多いので、落ち着いた琥珀色はまた新しいイメージを抱かせてくれます。グラスの底から飲み口に向かってグラデーションのように色が薄くなっていき、透き通る彩色がその美しさをより一層引き立てて、見ていて飽きない江戸切子です。食卓の邪魔をすることなく、さり気ない上品さで雰囲気を作ってくれます。
青・赤の定番カラーの江戸切子ぐい呑みです。ゆるやかに膨らんだころんとしたフォルムが愛らしく、手にすっぽりと収まるサイズ感。2色のペアセットなので、結婚のお祝いに最適です。お酒が一段と美味しく感じられそうな佇まいですね。
▼ 硝子工房 彩鳳 江戸切子一覧はこちら
▼ 技術体験ラボラトリー バックナンバーはこちら
炎が生み出す、冷たいガラスの造形美。HARIO LWFでのランプワーク体験
FALBE:光受けて輝く、ビーズのクロッシェ